先日NHKのBS2でやっていたサイボーグに関するドキュメンタリーを見た。テスト前のため撮りだめしていたテレビのうちのひとつ。
内容は脳とコンピューターをつなぐことで世界が広がる、みたいなこと(端折りすぎじゃん!) まさに攻殻機動隊の世界みたい。 実際にもう脳に電極をつけてマトリックスのモーフィアスや攻機の素子のように頭にプラグを持った人が何人もいるらしい。どれもまだぼんやりとしたカメラの映像を取り込むだけだったり、首からしたが動かないひとがパソコンを動かすためだったりだけど、これはもうすでに映画やアニメの世界が現実味を帯びてきたことに十二分に説得力のある事例だ。サルでの実験じゃ、脳に埋め込んだ電極からの信号で自分の腕のかわりにロボットアームを使って餌をたべてるんだから。 番組の最後のほうは、最前線の教授とかが脳インターフェイスのこれからの未来像を語っていた。 ”脳とコンピューターがつながれば自分というものが広がる”、”人はネットワークとひとつになる” 本当にそうなるかもしれない。 ここでひとつこんなことを考えてみた。 人がネットの一部になるということは記憶なんかも共有できてしまうことじゃないか。 マトリックスじゃサイファー(だっけかな?裏切っちゃう人)が”俺たちはチキンを食ったことがないのにチキンの味をしっている”なんてシーンがあった気がする。人の記憶があたかも自分の経験のようになってしまう。そうなると、ここまでが私の経験・記憶、って線引きが曖昧になってどこまで自分?みたいな感じになっちゃいそうな・・・。攻機もそんなこと扱ってたよなぁ。 そしてそれだけじゃない。 たとえば私が、とあるお金持ちの人の記憶を共有したとする。その人は昨日の夕飯にフォアグラを食べた。その記憶が私にも流れてくる。”昨日はフォアグラを食べたなぁ。おいしかったなぁ”私は実際に食べたことがないのにそう思うだろう。 ところで、私はいつも何かおかずを食べるとそれがご飯に合うかどうかを無意識のうちに考えてしまう。 今回も例に漏れず、ご飯とフォアグラが合うとする。実際に私はフォアグラとご飯を一緒に食べてはいないが”あのフォアグラ、ご飯と一緒に食べたらもっとおいしかったのになぁ”という記憶ができる。 お金持ちの人はフォアグラをおかずにご飯を食べたことはない。私もない。けれどネットワーク上には”フォアグラとご飯を一緒に食べるとおいしい”という記憶だけが残る。この世にご飯とフォアグラを一緒に食べたことがあるひとが存在しなくてもネット上にはフォアグラ丼がおいしいという記憶だけが存在する。 お金持ちの記憶でも私の記憶でも、誰の記憶でもない新しい記憶がネット上に突如出現する。 なんか新しい人間がどこからともなくネット上に生まれたような気分だ。 そこんとこどうなんでしょう? アイ・サイボーグの著者ワーウィック教授や、士郎正宗や、押井守や、ウォシャウスキー兄弟にぜひたずねてみたい。
by tetringec
| 2006-01-25 11:31
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